宇田さんとの出会いと、その後のこと『本屋になりたい』を読んで 

                             天久斉(BOOKSじのん)

 

 

 

 宇田智子さんの2冊目の著作『本屋になりたい』が、筑摩書房から刊行された。新書判とはいえ、200ページを超える分量の上質な文章を短期間で書き下ろすあたり、すでにプロの文筆家の仕事である。古本屋のキャリアはまだ浅いながらも、これほど有能で全国的な知名度を得た若手同業者と身近に接している沖縄の私たちは、これまでにない期待と興奮のさなかにある。

 宇田さんがジュンク堂池袋本店勤務時代から折々に書き綴っていた本や本屋の仕事にまつわるエッセイを、かつて私はたまたまネット上で見つけまとめ読みして、その文才に感嘆したものである。

 私はその頃、年末に地元紙『沖縄タイムス』で、一年間の沖縄関係書の出版状況を振り返る文章を、数年にわたって書かせてもらっていたが、それが次第に重荷と感じていた時期だったので、当事ジュンク堂那覇店で沖縄本の担当者だった宇田さんにその執筆を代わってもらえないかとお願いした。201011月の話である。

 宇田さんとの対面はまだ2回目だったにもかかわらず、私からの突然の申し出に特に戸惑う様子もなく了承してくれた(その後、宇田さんの「年末回顧・出版」は1223日に掲載された)。見込まれて執筆依頼を受けた仕事とあれば、宇田さんはまず断ることはないのだろうし、それはまた書ける自信があるからなのだろうと、そのとき強く感じた。

 宇田さんの文章に惹かれた人間は、東京の本の業界(出版・取次・書店)関係者を中心に数多く存在したと思われるが、最初にそれを編集して1冊の本に仕立て上げ、彼女を世に送り出したのは、ボーダーインクの新城和博氏である。その『那覇の市場で古本屋ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』(2013年)は、刊行直後に朝日新聞に書評が載り、またジュンク堂が那覇店を含む国内すべての店舗で強力な宣伝販売体制を敷いたこともあり、県産本では異例とも言える全国的な注目を集めて、書き手としての宇田さんのその後のさらなる躍進を予感させるものとなった。

 多くの方がすでにご存知のとおり、その後の彼女の華やかな実績の中で特に目立つのは、第7回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」の受賞(2014年)と、講談社のPR誌『本』における、20141月号に始まり現在も続く「ほんの序の口」の連載である。

 

 その意味でも、新城和博氏の慧眼にはあらためて敬服する。なるほど「餅は餅屋」なわけだが、沖縄の「餅屋」が並み居る本場東京の「餅屋」の機先を制したことは、痛快な出来事であった。

 また当の宇田さんにしても、沖縄県産本の豊かさ・面白さに目を開かされて那覇店への異動を希望し、その2年後には副店長のポストを捨てて、そのまま沖縄で県産本を主力商品に据えた古本屋の店主となったのだから、その経緯をまとめた自身の初めての著作が、ずっと憧れていた県産本の仲間入りを果たしたことは、きっと本望だったに違いない。

 

ところで、思い起こせば私が最初に宇田さんに会ったのは、やはり新城氏の計らいによるものだった。新城氏が編集を手がけ、ボーダーインクから20107月に刊行された『沖縄本礼賛』という新書判がある。東京在住の特異な沖縄本コレクターによる面白エッセイ集で、その出版祝賀会が同年9月に那覇市内の居酒屋で持たれ、著者の平山鉄太郎氏も東京からかけつけた。

参加者20人ほどのこじんまりとした、だが和気藹々たる集まりであった。参加者の半分ほどは、版元のボーダーインクをはじめとする県内出版社の編集者・営業担当者が占めていた。この手の集まりならよく見かける顔ぶれなのだが、その日そこには、もう一つの別の同業者集団が異様な群れをなしていた。本書の成立に重要な要素となっている、沖縄県内の古本屋の面々である。著者の平山氏がネット通販を主体に客として取引のあった店主たちで、その多くが『沖縄本礼賛』では実名で登場しており、平山氏の好意的かつ軽妙なる筆致で、「ハハハ、いかにも●●さんだ!」と膝を打ちたくなる、愉快で的確な人物描写が随所に盛り込まれている。

 

 その日は私も古本屋の一人として列席したのだが、私の左隣に座っていたのが、ジュンク堂那覇店の宇田智子さんであった。

 宇田さんの赴任時からずっと懇意にしていて、沖縄において宇田さんが最も頼りにしていた人物とおぼしい新城氏は、『沖縄本礼賛』の著者の平山氏だけでなく、そこに描かれている、いかにもユニークで怪しげな古本屋のおじさん・おばさん連中も、同時に宇田さんに紹介できる意義を感じて、彼女にも声をかけたのだろう。それが、私が宇田さんを知った最初の機会であった。

 彼女は私が勤務する「BOOKSじのん」のことはすでに知っていたようで、「たくさんある沖縄本の在庫管理・把握は、どのようにされているのですか?」と尋ねてきた。それとは別に私からは、沖縄本の新刊書の仕入れを古本屋はどういうルートで行っているのかについて説明した。だいたい私が9しゃべり、宇田さんが1返す割合だった。書店人としての能力は当然高いのだろうが、物静かな人という印象を抱いた記憶がある。

 ただ、それから1年後に、宇田さんがジュンク堂を辞めて我々古本屋の仲間に加わってくれるなんて、ひとかけらの予想もできなかったし、当の本人もその時そんな発想はまだなかったはずだ。今にして思えば、あれは古本の神様が仕組んだ、レールの始まりの部分だったのかもしれない。

 

 

 宇田さんはその日の出来事を、『那覇の市場で古本屋』で次のように書き記している(同書4849頁)。


 平山さんが誰よりお世話になっているであろう古本屋の人たちが刊行記念の会にいらっしゃるのは自然なことなのだけれど、古本屋と出版社、そして新刊書店の私が同席しているのは不思議な感じがした。東京では古本屋の人と直接関わることはなかったし、どちらかといえば敵対関係にあるように思っていた。

 沖縄では、古本屋が沖縄本を新刊で仕入れることも珍しくない。土産物屋も雑貨店も新刊を置いている。本を売るのは新刊書店だけじゃない、みんなで売ればいいというおおらかさがある。そんな土地柄だからこうして一緒に飲めるのかなと思いつつ、初めて出会う古本屋という職業の人たちに緊張して、あまり話せなかった。風邪気味でもあった。

 なのに帰りそびれて二次会のカラオケに行き、歌わずにいたら「文華堂」の濱里さんに「歌も歌えなくてどうするのか」と怒られた。濱里さんは『沖縄本礼賛』に、店先で泡盛をふるまう豪快な古本屋店主として登場する。イメージ通りだった。

 

 翌朝は車を運転して古本の出張販売に出かけることになっていた私は、この日ノンアルコールで過ごし、二次会にも加わることなく帰路に着いたのだが、後日ボーダーインクの喜納えりかさんから、二次会の模様の報告があり、濱里氏の歌のうまさに皆ぶっ飛んだと聞かされた(わかる、わかる)。

 ただし、宇田さんが濱里氏から頂戴した「愛の鞭」の件は、上記の文章に接するまで知らずにいた。その後現在に至るまで、私は宇田さんがカラオケに付き合ったのを見たことがなく、かつ他者からも聞かないのは、この日の「虎・馬」のせいなのだろうか。

 

 かつては「どちらかといえば敵対関係にあるように思っていた」古本屋の側に、今、宇田さんはいる。今回の著作『本屋になりたい』においても、「新刊書店は古本屋が嫌い?」と題した項があって(140143頁)、思わずドキッとするが、そこに書いてある次の文章を目にしてちょっと驚き、やがて心が和んだ。

 

 絶版の本や非売品などについて、新刊書店は古本屋を頼りにしています。新刊書店では扱えない本を探しているお客さんがいたら、「古本屋で買えるかもしれません」

と伝えます。どの店にあるかはわかりません(そこまで調べることもありますが)。でも、どこかの古本屋にはあるだろう、古本屋のよこのつながりで見つけられるだろう、と信頼しているのです。新刊書店にはできないことが、古本屋にはできます。 

 

 新刊書店と古本屋、両者の仕組みを直に体験した宇田さんならではの発言だろう。こう書ける新刊書店員はそう多くないと思う。

「古本屋で買えるかもしれません」とまで客に親切な助言をするのは、ジュンク堂の社員教育の一環なのか、それとも宇田さんの個人的資質なのかは、是非聞いてみたいところだが、いずれにしても当店は実際にジュンク堂の恩恵を受けている。「ジュンク堂から紹介されました」と言いながら目当ての本を買いに来た客が、過去に何人かいたのだ。客が探している絶版本が当店にあることを、ホームページで在庫検索した上での案内だろう。

 直接の利益は発生しないこのサービス。ジュンク堂の懐の深さに痛く感心し、逆に何らかの形でお返しができないものかと考えたことを思い出す。今となっては、宇田さんか、その指導を受けたスタッフによる「神対応」だったと信じている。

 

 

 ある日、宇田さんに向けて半ば冗談で、次の言葉を投げかけてみた。

「 『本屋になりたい』というこの書名は、頭に【古】という一文字が抜けているんじゃないの?」

 

すると、彼女は照れたように微笑んだだけだった。

 だが、その後何度か本書を読み返すうちに、

「本を求める人をサポートできる仕事という点で、新刊書店と古本屋に本質的な違いはありませんから」

 静かに、だがきっぱりとそう答える宇田さんの声が、行間から聞こえた気がした。宇田さんの古本業への向き合い方には、ジュンク堂における9年間の王道経験と、その後の古本屋業務との比較考察を通じて、異質なものも上手に受け入れながら己の懐を少しずつ広げていこうとする、しなやかさ・したたかさを感じる。

 

「何かをしたいと思っている人を、本を売ることで応援したい」(本書16頁)

 

ジュンク堂就職時の志望動機を宇田さんはこう書いたというが、あれから13年経過して、古本屋になった今でも、それは

きっと少しも変わらぬ彼女の強い意思・願望なのだ。

 

 求める客に本を売るための陳列方法(客が思わず手に取るような本の見せ方、POPの工夫など)や、客の問い合わせに対する受け答えについては、ジュンク堂時代のセオリーが、古本屋になってからもそのまま生かせる。

 だが、その前段階である仕入れについては、古本業界特有の仕組みに、さすがの宇田さんも初めて経験することばかりで、かなりとまどい日々勉強の連続だった様子が、本書の第一章「本を仕入れる」には具体的に描かれている。

 先輩業者である私には、本書のなかでこの第一章こそが最も読み応えがあり、宇田さんが古本屋として成長したことを、しっかり確認できたように思った。

 とりわけ、古本屋どうしが集まって本の売り買いをする市場(市会、交換会)のことを、多くの頁を割いて書いてくれた点は嬉しかった。私は沖縄の古書組合において「市会運営部」という役割を担っており、古本屋にとって市会の果たす重要性とそこで得られる醍醐味を、日頃から同業者に口酸っぱく語っている人間である。宇田さんがこの業界に仲間入りして以来、彼女にもその点は常々強くアピールしてきた。時には「市場の古本屋ウララ」をもじって、「市会の古本屋じのん」と自称したこともある。

 それだけに、個人的にこの章は、私に対する中身の詰まった返答・返礼として受け止めた。例をあげれば、宇田さんが次のように書いているのを目の当たりにして、「宇田さん、わかってくれてありがとう!」と、一人快哉を叫びたくなるのである。

 「市は店と同じくらい、もしくはそれ以上に楽しそうです。業者どうしのかけひきには、お客さんを相手にするのとはまた違った緊張感があります」(本書4344頁)

 

 また、初めて参加した東京の市で、昭和15年発行の『山之口貘詩集』を落札したものの、のちに高く買いすぎたかもしれないと不安になり、それでも三ヶ月ほどたって、来店した客に無事に買ってもらえたエピソードは、起承転結のメリハリ、東京の市から那覇の店先へ場面が転換するプロット、登場人物それぞれの発言の妙味によって、この章のハイライトになっており、映像化できそうなくらいだ。

 そして、結末での宇田さんの心情の吐露も、読者の共感をよぶ。

 

「思ったよりずっと早く、価値をわかってくれる人が現れました。仕入れて値段をつけた私まで認めてもらえたようで嬉しく、一方では手放してしまうさびしさも感じました」(本書50頁)

 

 棚に並べたい本を、他の業者との競争入札で自腹を切って仕入れ、諸々の観点から吟味して売価をつける。そして、その価値を理解する客によって買われていく。この一連の過程は古本屋ならではのものであり、新刊書店勤務時代には味わえなかった感慨であることが、抑制された言葉の連なりのなかにうまく滲み出ている。「本屋になりたい」宇田さんが、ちゃんと独り立ちした「古本屋になった」ことを象徴するセンテンスといっていいかもしれない。たとえば『那覇の市場で古本屋』の次の文章と比較すると、その違いがわかる。


「これは沖縄に関する本だと何度も確かめたうえで、『宮良當壮全集』全二十二巻や『南島祭祀歌謡の研究』一万五千七百五十円など、見たこともない本に「1」と注文数を入れていった。快感だった」(同書19頁)

 

 ジュンク堂那覇店の開店にあたって、沖縄本のコーナーに陳列する本の選書(仕入れ発注)をまかされた宇田さんが、注文用紙にどんどん冊数を書き込んでいく場面である。自らが現金を払って仕入れるわけでもなく、かつ返品可能な委託販売制とあって、「売れなければどうしよう」とためらう必要はない。決められた定価どおりに販売するので、当然のことながら値づけの作業もない。だからこそ、高額本も思いのままに扱える「快感」に浸ることができたのである。

 現在の宇田さんなら、もし上記の『宮良當壮全集』や『南島祭祀歌謡の研究』を仕入れるチャンスに巡り合ったときには、まず「この本は、店に並べたい本なのか? 自分の店で本当に売れるのか?」と真剣に考えるだろうし、その前に「そもそも、いま支払えるか?」と、金の算段の必要に迫られる。本書でも触れられている通り、古本屋の仕入れは、原則としてその場での現金決済だから。こうしてあれこれ迷い悩んだ末に、入手を断念せざるを得ないことだってあるのだ。彼女自身の表現を借りれば、「古本屋の大変さは、自由さと裏表」(27頁)なのである。

 

 だけど宇田さん、あなたは、その「大変だけど、それでも自由に自分で何事も決められる」仕事に魅力を感じて、古本屋の道を選んだわけですよね? 本を仕入れるのも、値段をつけて売るのも、そして文章を書いて発表することも、自己責任の元で思うように行える今の環境は、あなたをますます輝かせているように思います。あなたがこの業界に慣れることに気を配ってきたつもりの私は、だから今、とても喜ばしく誇らしい気分です。

 

 今に、あなたより年若い新しい仲間が、沖縄の組合に入ってくれるでしょう。そのときは、この本で書いてくれたことを、その後輩にじっくりと教えてあげてくださいね。特に市会の意義と楽しさを、そして、それに集約されている業者どうしの横のつながりの大切さを…。

どうか、よろしくお願いいたします。これからも、共に頑張っていきましょう。

 

 

 市場の古本屋ウララ 宇田智子 様

                          市会の古本屋じのん 天久斉 拝